【ケムリクサ】りりの絶望は「必要」なことだったのか【考察】

初めに、自分はケムリクサを毎話リアルタイムで追っていた人間ではない。11話が話題になったので最終回直前に全話一気見した程度である。したがってこれまでの内容についてどんな考察が視聴者間で交わされていたのかは一切知らない。そういう人間が行った考察だとご了承いただきたい。

 

さて、今回テーマにしているのは12話で描かれたりりの最期の描写その他諸々である。

前話ラストで「ワカバを助けるには自分が大人になればいい」と考えたりりは、ケムリクサに関する天才的な発想を以て自分の記憶をケムリクサに分割し、新しい自分でワカバを救うという決断をする。ダイダイのメモに後事を託す旨と「私の目的はワカバを助けること」と書き残し、今に繋がっていく。ここまでは良い。

だが12話ではさらにその後が描かれた。記憶の分割に成功したりりはワカバが今どこにいるかを探した結果、彼の死を見てしまう。既に目的が失われていたことを知ったりりは、これから生まれる新しい自分を自由にするためワカバの遺言を遺して消滅した。これがメモの一部が塗り潰されていた理由だった。

これに「ただでさえ救いのない過去の話で、さらにりりを絶望させたまま終わらせる必要はあったのか。メモの辻褄が合わなくなるが、何も知らずに消滅を迎えるのではダメだったのか」という意見が出るのは当然だろう。もう終わった過去なので取り返すことはできず、ただ苦みが残るだけなのだから。

 

この描写について自分なりの考察を重ねた結論を先に述べると「ああなるのは避けられない以上必要だった。何故ならあの二人には相談と情報の共有が無かったから」である。

結果から生じた疑問を探るには原因まで遡る必要がある。そこで11話の描写を思い出してみると、ワカバとりりは善意からのすれ違いを重ねてしまったことが分かった。

 

りりはワカバと一緒にいたくて彼のお仕事に関わるケムリクサを止める赤いケムリクサを作り出してしまう。でもそのことについて相談は無し。前段階の「仕事は程々で無理しないで」は言ってみたもののワカバの方に聞き入れる気が無い。すでにすれ違いが生じている。

その後赤い木を止めるためにワカバは自分を苗床にミドリを育てることを決意する。この決断には恐らく地球で死んでいたりりがワカバの船で蘇ったことが影響していると考えている。レアケースだがケムリクサを介してなら生き返れるというモデルがそばにいたからこその決断。別れの前に告げた「また会えるから」は「死んでしまうけどケムリクサで蘇るから」という意味だったのではないか。そしてりりはケムリクサを扱うことに関しては天才的な閃きを見せるので、こう伝えることで「りりなら意図を汲んで待っていてくれる」と考えたのかもしれない。

しかしワカバを前にしたりりは見た目相応の幼い少女でしかないし、今の彼女にとって大事なのはワカバしかいない。その彼のために行ったことが彼に多大な迷惑をかけ、それが原因で引き離され、挙句死んでしまった、などと突き付けられて独りの少女が耐えられるわけがない。つまり「りりは大人ではない」、その認識がワカバには無かった。とても全てを伝えている時間など無さそうな状況とは言え、これもまた才能を知るがゆえのすれ違いである。

 

「一緒にいてほしい」と「これから先、自分が何をしてどういう結果を目指しているのか」の相談と共有ができなかったためにワカバとりりはああいう結末を迎えてしまった、と自分は考えた。式を間違った以上どうあがいても正解は導き出せないのだ、不正解を突き付けられ打ちひしがれるのは残念ながら当然のことである。

(というかケムリクサは「情報共有を怠った者が死ぬ」の法則があるように見受けられる。りくはケムリクサの使い方を姉妹にレクチャーしなかったし、りょくも文字の使い方を教えなかった。りょうはイマイチ不明。強いて言うなら効率のいい戦い方? 欠けている者同士、支え合わなければ倒れてしまうのは道理)

 

ではその後の二人であるわかばと姉妹たちはどうだったのか、というと彼女たちはちゃんと相談をしている。1島を出るか留まるか、元凶の赤い木を断つか否か、壁を超えるためにミドリちゃん使うか否か、など重要な時には必ず主人公のりんを交えて(というか意思決定の役割を任されて)相談が行われている。

唯一そうでなかったのが決戦に臨む前のりつとりなの断水だが、この頃には姉妹同士とわかばの間で信頼と絆が確かに育まれていたし、水切れ=葉の寿命=死期が近いという情報共有は済んでいるので、今度は「命がけで事を成そうとしている」のが伝わっている。ワカバ→りりで伝わらなかったことが姉妹たち(りり)→わかば(ワカバ)で逆転しているのが面白い。

 もう一方の「一緒にいてほしい」もわかばが一人も欠けることなく進める作戦を提示したり、姉妹たちが互いを気遣い合うことで「失いたくない」という形で旅の中での共通認識として培われていく。そしてわかばが役割を終えた虫たちの死を通して「誰一人死んでほしくない」とハッキリ口に出して言えた時点でこれもまた全員に伝わった。これもまたわかば(ワカバ)→姉妹たち(りり)で逆転している。極めつけがりんの最後の台詞で、あれ以上に「一緒にいてほしい」を伝える言葉は恐らくないだろう。

 

ただ姉妹たちとわかばがこうやって絶望的な中で互いを繋いで希望を見出せたのは、あれだけ「詰んだ」状況の中で希望を繋ごうとしたワカバの決断あってのことだ。ワカバを助けようとりりが頭をひねったからだ。

もう戻らない二人に救いはないが、その後の彼らの救いにはなってくれた土に還って大地を豊かにし緑を育むために必要な「死」だった

姉妹たちわかばが主役の物語である以上、そこへ至るまでの物語は彼らの土台である。その土台、大地を豊かにするために失敗がある以上、避けてはいけない絶望だった。むしろそれを描かない方が不誠実ですらあると自分は考える。

 

とはいえ、様々な考察の中でりりが戻ってこれる可能性も挙げられている。自分が言うまでもないだろうが、どんな可能性も好きに考えて大事にしてほしい